手塚マンガよ永遠なれ
2000年12月5日私は手塚治虫マンガで育った世代である。
鉄腕アトムはちょっと前だが、ジャングル大帝やリボンの騎士から始まって ブラックジャックや三つ目が通るなどアニメだけでなく週刊誌(チャンピオンだったか?)で読んだクチだ。
今年の夏 念願だった宝塚の手塚治虫記念館にも出かけた。もう 建物まるごと手塚ランドってかんじで感激した。 展示物もさることながら自由にマンガが読めるスペースもあり、ダンナも私も子どももすっかりハマってしまった。
どのマンガも好きなので とても私の中で一番は決められないが 敢えて選ぶならやっぱりブラックジャックかな。これはマンガを先に読んでいたので、アニメになったときには各キャラクターの声がイメージに合わない気がしてつらかった思い出がある。そう、声って大事なんだよね。
よく 洋画の吹き替えで声優さんでなく 人気俳優が演じることがあるけど、あれははっきりいって映画をぶっつぶしてるよ。声からその俳優が想像されちゃダメなんだよね。それに声だけの演技はプロの声優さんたちにはかなわない。あくまでも映画の中の俳優の演技に合わせてなくちゃ。熱がこもって思わず自分が演じてるかのような声ではかえって興ざめしてしまう。せっかくスクリーン上のスターがキメていても 声があってなければだいなしだと思いません?
ま、声の話は別として 手塚先生のマンガはその緻密さ繊細さでは他のマンガの追随を許さないと思う。映像でもかなり細かくて綺麗。そして 何といってもそのポリシー。訴えたいテーマがあまりにも凄くて幼いときには今一つピンとこなかったが、物心ついてから改めて読む(見る)と 胸に迫るものがある。
それから CMでもあるが、手塚先生が30年以上前に想像されていた世界が現実のものとなっている凄さ。携帯電話もその一つだね。
昭和天皇が亡くなったときは感じなかったけど、手塚先生が亡くなったときには”ああ、昭和は終っちゃったんだなぁ”としみじみと思ったものだった。
きっと もっと描きたかったんだろうな。そして21世紀を見たかっただろうな。でも 手塚先生のマンガはきっと21世紀にも生き続けると思う。いや そうしなくちゃいけない気がする。それは手塚マンガ世代の私たちの役割だね きっと。
鉄腕アトムはちょっと前だが、ジャングル大帝やリボンの騎士から始まって ブラックジャックや三つ目が通るなどアニメだけでなく週刊誌(チャンピオンだったか?)で読んだクチだ。
今年の夏 念願だった宝塚の手塚治虫記念館にも出かけた。もう 建物まるごと手塚ランドってかんじで感激した。 展示物もさることながら自由にマンガが読めるスペースもあり、ダンナも私も子どももすっかりハマってしまった。
どのマンガも好きなので とても私の中で一番は決められないが 敢えて選ぶならやっぱりブラックジャックかな。これはマンガを先に読んでいたので、アニメになったときには各キャラクターの声がイメージに合わない気がしてつらかった思い出がある。そう、声って大事なんだよね。
よく 洋画の吹き替えで声優さんでなく 人気俳優が演じることがあるけど、あれははっきりいって映画をぶっつぶしてるよ。声からその俳優が想像されちゃダメなんだよね。それに声だけの演技はプロの声優さんたちにはかなわない。あくまでも映画の中の俳優の演技に合わせてなくちゃ。熱がこもって思わず自分が演じてるかのような声ではかえって興ざめしてしまう。せっかくスクリーン上のスターがキメていても 声があってなければだいなしだと思いません?
ま、声の話は別として 手塚先生のマンガはその緻密さ繊細さでは他のマンガの追随を許さないと思う。映像でもかなり細かくて綺麗。そして 何といってもそのポリシー。訴えたいテーマがあまりにも凄くて幼いときには今一つピンとこなかったが、物心ついてから改めて読む(見る)と 胸に迫るものがある。
それから CMでもあるが、手塚先生が30年以上前に想像されていた世界が現実のものとなっている凄さ。携帯電話もその一つだね。
昭和天皇が亡くなったときは感じなかったけど、手塚先生が亡くなったときには”ああ、昭和は終っちゃったんだなぁ”としみじみと思ったものだった。
きっと もっと描きたかったんだろうな。そして21世紀を見たかっただろうな。でも 手塚先生のマンガはきっと21世紀にも生き続けると思う。いや そうしなくちゃいけない気がする。それは手塚マンガ世代の私たちの役割だね きっと。
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